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2010年5月

2010年5月29日 (土)

車載動画について

車載動画について考えたことを書いてみようと思う。もともとこのブログも、自分の車載動画シリーズの名前からとったものだし、車載動画そのものを扱った記事を書いておくのも悪くないと思ったからだ。

ニコニコ動画で車載動画を見て、ワクワクする感じとともに面白さを感じ、自分でもいくつかの動画を投稿してきたのだが、今にして思うと「自分はなぜ車載動画を面白いと感じたのか」という根源的な部分に明確な答えを出せていないような気がしているので、ふと思いついたことをここに書いておくことにする。

私が車載動画を見始めるきっかけとなったのは、かずさのすけさんの酷道152号線シリーズである。この動画から車載動画を見始めた人も多いだろうし、この動画を見て車載動画を作ろうと思った人も相当いたはずだ。それだけ、インパクトのある動画だったのである。

これ以前の車載動画は、サーキット走行などのドラテク研究用動画か、車窓の動画に音楽を載せたBGV的な作品が殆どだったのである。

この動画が、その後の車載動画の基本フォーマットを作り上げたといえるのだが、その大きなポイントは以下の通りだと私は考えている。

  1. 動画のオープニングと動画の内容の簡単な説明(私は勝手に「扉」と呼んでる)
  2. 酷道を一本丸ごと走る、というネタ的な内容
  3. 早送りとBGMの併用
  4. 面白スポットやネタスポットなどの写真を挿入して、実際のドライブ気分を演出
  5. 説明テロップの使用
  6. 等速再生と倍速再生の使い分け

3.と5.はそれ以前の動画にあったかも知れないが、この動画では「ネタ」として使っているところが今までとは異なる点。つまり、この動画は、車載動画をネタ動画として見ることができるように、というよりも最初からネタ動画として作られているところが、それまでの車載動画と異なっていたのである。

ネタであるからこそ、「何をやるか」「何をやったか」を説明するための扉が必要であるし、ネタだからこそ、動画の端々にネタを仕込んでいるのである。

とまぁ、そんな分析はさておいて。私が何故この動画を面白いと思ったかというと、それは「自分もここを走りたい」というドライブの動機付け、楽しいドライブを予感させる、そういうワクワクした雰囲気が動画の中に溢れていたからだ、ということになると思っている。

勿論、他の楽しみ方もあるだろう。例えば

  • 道路にまつわる歴史などの解説を楽しむ、お勉強動画としての楽しみ方
  • 投稿者の音楽的趣味を楽しむ環境動画的な楽しみ方
  • 一緒にドライブに行った気になる、というヴァーチャルドライブとしての車載動画
  • 旅行記としての楽しみ方
  • ネタ動画としての楽しみ方

しかしながら、私自身そういう面白さを認めつつも、動画を見ながらドライブに行きたくなるワクワクを感じない動画は次第に見なくなってしまうので、私にとって大事なのはやはり「ワクワク感」なのだろう。そして、その「ワクワク感」の正体は、動画がドライブの動機付けになりうるか否か、という点ではないかと思っている。

とりあえず、ここまで

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2010年5月 1日 (土)

ぼくたちの洗脳社会

せっかくのゴールデンウィーク、どこかに出かけたいところだが、どこへ行っても渋滞渋滞、なぁんてこともなく抜け道はいくらでもあるんだけど、そんな気分でもないので今日は読書。

今回読んだのは、岡田斗司夫著「ぼくたちの洗脳社会」。

twitter上でもたびたび話題になっていた本で、それによると「あの当時、こんな本が出ていたなんてスゲー」っていうものだった。

実際に読んでみると、確かにスゲー。10年以上前に出版された本でありながら、現代のこの有様を見事に言い当てているのだ。

著者のいう「洗脳社会」とは何か?、それは、お互いがお互いを洗脳し合う社会、というと聞こえが良くないがもう少し穏便な言葉を使うと、お互いに影響を与え合う社会、と言ってしまうと今度は穏便過ぎて何が凄いのかが分からなくなってしまった。

著者は言う、現在は新たなパラダイムシフトが起こりつつある。それは、農業革命、産業革命に匹敵するものだ、と。それが、情報革命である。そして、その革命により到来する社会が、高度情報化社会と一般には呼ばれている「洗脳社会」である、と。

高度情報化社会とは、情報が溢れる社会ではない、情報に対する「解釈」が溢れる社会である。こう書くと分かりにくいが、今の我々には丁度いいサンプルがある、そう、ブログである。あるニュースに対して、無数のブログでそのニュースに関する解釈や感想が書かれる、まさにこの状態を指していっているのだ。「え?そんなの別に今さら「解釈が溢れる」とかもったいぶった言い方しなくていいのでは?」と思うかもしれないが、この著作が書かれたのは、twitterどころかSNSやブログもなく、それどころかネットに常時接続すら一般的でなかった10年前に書かれているところが驚きなのである。

また、この著者は経済万能社会が終焉を迎え、新たな価値観のもとで若者が物質的な豊かさを望まなくなる、とも述べている。その一連の論理展開の中で(言葉こそ違うものの)「若者の○○離れ」「空気を読む若者」といった、今まさに起こっている現象を見事に言い当て、そのメカニズムを説明し切っているのである。

また、「洗脳社会」における価値のありかたについても言及されており、これが今現在著者が展開しているオタキングexにおける「評価経済」の考え方そのものである。つまり、10年前においてオタキングexの思想面は既に90%以上出来上がっていたと言えるだろう。それが、昨年の「FREE(フリー)」によって確信を得たあるいは、背中を押される形で自らをFree化することを目的としたオタキングexへと突き進むきっかけになったのだろう。

そんなわけで、オタキングexに興味のある人なら一度は読むべき本。

そして、オタキングexに興味がなくても10年前に発行された預言書として読んでおいて損のない本だ。

以下余談

著者の岡田斗司夫という人は、ことのほか「オレ視点」を重視している。調べれば分かる知識をたくさん持っていることに価値はなく、その知識と自分との相対位置関係を認識した上で自分視点で語れるまでになって、はじめて価値が出る、そう考えているようだ。

だから、彼のオタク人としての評価は面白い。ガンダムの設定をいくら知っていてもガンダムオタクとしては「信用できない」という評価になってしまうのだ。ガンダムを自分の切り口でどれだけ面白い語りを生み出せるか、それこそがオタクでありオタクとしての価値なのだ。であるから、そこに正しさは必要ない、彼自身のガンダム論も(すっごく面白いけど)富野さんの意図を正確に言い当てたものではないかもしれない、でもそれが重要なのだ。

この「オレ視点」重視は、マンガ夜話などの番組での発言や、ノート術などにも見られる。そして、この「オレ視点」重視こそが「ぼくたちの洗脳社会」における優れた洞察を可能にしたのかもしれない。

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