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2009年12月16日 (水)

上都

たまには、旅行した話でも車の話でもない話。

抜群の武勲だけでなく芸術や学問、自然を愛好したことでも知られる皇帝クーブラ=カーン(クビライ=カーン)は当時、世界の半分を治めていた。上都はその帝国の副都である。皇帝は首都である大都(今の北京)で冬をすごし、夏になると北方の上都にて執政を行ったといわれている。
 
クーブラ=カーンが最初にかの地を訪れた時、その風光の素晴らしさに大いに心打たれ、アレフ河が氷の洞穴へと流れ込むかの地に都を造ることを決意した。そして、自分自身のための豪壮な歓楽宮の建設を命じた。その歓楽宮は、アレフ河の怒涛逆巻く激流の上に、太陽に照らされた歓楽宮の影が落ち、峡谷や氷の洞穴をデザインの一部に取り入れるなど類稀な趣向を凝らしたものであったという。更に、クーブラ=カーンは16km四方の森を防壁や塔で囲い、その内側を芳香漂う花が咲く美しい庭園となしたが一部に手つかずの自然を残しておき、そこでの狩りを楽しんだ。
 
歓楽宮の人工庭園は地上のみならず氷の洞穴を通じて地下にまで広がっていた。そこは、所々に曲がりくねった小川が流れ、世界中から集められた見事な貴金属の彫刻や宝石の光が水面で反射して地下空間にあっても真昼のようであったと伝えられている。
 
欧州よりかの地に立ち寄った探検家マルコ=ポーロは、クーブラ=カーンに招かれてこの歓楽宮を訪れた。彼は、クーブラ=カーンの偉大さと歓楽宮の壮麗さに驚き、著作「東方見聞録」の中で上都を黄金の国ジパングとともに理想郷として記している。
 
彼がその著作の中でクーブラ=カーンとその歓楽宮を欧州に紹介することによって、欧州人たちは遙か東方の異国への憧れを抱いたことは疑いようがない。英国の詩人S.T.コウルリッジは、東方の大帝国の偉大なる皇帝と彼の歓楽宮を詩におさめた。その中で彼は、クーブラ=カーンの歓楽宮を「Xanado」と呼び「たぐい稀な趣向の奇跡」と讃えている。
 
クーブラ=カーンがかの地に歓楽宮の造営を決意した理由はもう一つあるといわれている。それは、かの地が混沌(カオス)の世界から天上界への力の流れが、我々の住むこの世界を貫く唯一の地点であることを占術師によって知ったからである、というのである。彼が世界の半分を手に入れたのはその力を使ったからだ、と。そして、その力の流れの秘密は、歓楽宮の地上部ではなく地下歓楽宮にあるのではないかといわれている。

しかしながら、現在となってはそれを知ることは出来ない。なぜならクーブラ=カーンの帝国も永遠ではありえず、彼の死とともに求心力を失った帝国は分裂し滅びた。その際にかの地では暴動が起こり歓楽宮の地上部は廃墟同然になり、地下歓楽宮への全ての入り口が失われてしまったからである。

数百年後、かの地一帯は東方の島国の勢力下となる。この島国は,かつてクーブラ=カーンの軍隊を持ってしても屈服させることの出来なかった国「ジパング」であり、彼らはクーブラ=カーンの力の秘密を解明し利用しようと考えていたのである。
しかし、彼らの調査隊の努力にもかかわらず地下歓楽宮の入り口を発見することは出来なかったといわれている。

現在、クーブラ=カーンの築いた歓楽宮の存在した辺りは、中華人民共和国の内モンゴル自治区に属しておりドロンノールと呼ばれている。今でもかの地を訪れる者の耳には偉大なる先祖の声が聞こえるのかもしれない。そして、地下には失われた地下歓楽宮が眠っている。

参考動画

こういう話題もたまにはやってみようかな。

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